Interview

「もっと上手くなりたい」
負けん気と飽くなき向上心が育んだ
溶接マイスターへの道のり

まったくの未経験から溶接の道へ。 18歳という年齢で溶接の実力を見いだされた原石は、いかにして磨かれ、エムイーシーテクノの溶接技術をけん引する存在へと成長していったのだろうか。

経験ゼロからのスタートだったが、すぐに溶接に夢中になった

まずは入社動機を教えてください。

小学生の頃からプラモデル作りが好きで手先の器用さには自信があったので、できれば自分の手先を使って何かを作るような仕事に就きたいと思っていました。 商業高校を卒業するときに、知り合いから三菱化成(現・三菱ケミカル)の事務仕事をご紹介いただいたのですが、事務よりも現場の仕事がしたいと伝えたところ、エムイーシーテクノの前身である菱化テクノを紹介されました。 最初の1年は研修所でいろいろな仕事を教えてもらえるということだったので、入れば何か自分が興味を持てるものがあるだろうと考えたのです。

研修ではどんなことを学んだのですか?

座学で設計や電気や機械などを学び、その合間に溶接や仕上げ、据え付けなどの実習がありました。 この実習を通じて、自分にはチームでやる仕事は向いていないと感じました。 一人でできる仕事というと、溶接くらいしかない。 それで機械課(当時の工事施工を担当する部署)を希望するようになりました。

それ以前にも溶接を経験したことはあったのですか?

いいえ。 同期はみんな工業系の出身だったので学校で溶接を経験していましたが、自分は商業高校出身なので全くの未経験でした。 最初は講師の人に「君がやっているのは溶接じゃないな」とあきれられるくらいひどかった。 でも一人で没頭できるので楽しいな、と思ってやっているうちに、だんだんできるようになってきました。

1年間でどれくらいできるようになったのですか?

研修の最後に溶接免許を取得するための試験があり、その中の溶接の仕上がりをABCDで判定する外観試験で、自分だけA判定をもらうことができた。 講師に「訓練生がA判定を取るなんて今まで見たことがない」と言われたのを覚えています。 この講師が「岩丸は溶接に向いている」と会社に掛け合ってくれて、溶接部に配属していただけました。 そのときの講師が2012年に「現代の名工」にも選ばれ、現在も当社の技能職の育成指導に従事されており、私の師匠でもある山田哲彦さんです。

負けん気の強さで勝ち取った大仕事

念願の機械課(鉄工班)に配属されたわけですが、配属当初はいかがでしたか?

最初はできないことばかりでしたね。 仕事は各部門の先輩たちとチームを組んで行いますが、配管や製缶の人からは「なんだ岩丸か。 使い物にならんからいらんわ」とよく言われました。 それが悔しくて昼休みや終業後に一人で溶接の練習に明け暮れていました。 当時は「今に見とけよ」という感じでしたね。

負けん気が強いですね。 認めてもらえるようになったのはいつごろですか?

入社4年目に、北九州工業地帯の他社プラントから三菱ケミカルのプラントまでLNGの配管を敷設するという大きなプロジェクトがありました。 太い配管なので溶接は二人一組で行います。 すでに一人目はエースの山田さんが入ることが決まって、もう一人を誰にするかというときに山田さんが僕を指名してくれました。 とはいえ絶対に失敗できない仕事なので反対する声も強く、結局、1か月後に入社10数年目の先輩と僕が溶接の試験をやって、そこで勝てたら認めようということになりました。

その先輩とどんな勝負をされたのですか?

配管は板ものと違い、表側からしか溶接できないので「裏波溶接」という方法を使います。 それをどれだけスムーズに、きれいにできるかという試験です。 山田さんの指導を仰ぎながら、毎日居残り練習をして勝負に臨みました。 その結果、みんなから「これなら任せても大丈夫だろう」と認めてもらうことができました。 やってみたい仕事だったので決まったときはうれしかったです。 しかしすぐに「絶対に失敗できない」というプレッシャーが押し寄せてきました。

実力で勝ち取った大仕事、それはどんなプロジェクトだったのですか?

公道に掘られた狭い掘削溝の中で、長さ10メートル、直径40センチメートルの鋼製ガス配管の接合部を溶接していく仕事です。 担当した工区は約2キロメートル。 工期は4カ月でした。 肉厚が厚い配管なので1回では溶接できず、同じ工程を5、6回繰り返す必要がありました。 また接合部はV字開先のため後工程ほど溶接面積が広く、時間がかかります。 さらにLNG管だけでなく窒素ガスの配管も溶接するので、1箇所終えるのに4、5時間は必要。 公道なので終わったらすぐに埋め戻さなくてはならず、毎日が時間との勝負でしたが、無事に工期内に完了することができました。

プロジェクトは問題なく進みましたか?

慣れるまでは大変でした。 管の向こう側にいる山田さんと同時に下部から溶接を始めて、一番上で同時にフィニッシュするのが理想ですが、どうしても僕の方が遅くて山田さんを待たせてしまう。 でもやっているうちにだんだんスムーズになって、同じスピードで上がれるようになりました。

やはり自分にとって大きかったのは、超一流の人の仕事を、目の前でつぶさに見られたことです。 右手と左手の連動のさせ方、姿勢の取り方など、ものすごく勉強になりました。 毎日山田さんに近づこうと努力した結果、スピードも仕上がりも格段に上達したと思います。 溶接後にレントゲンで欠陥がないかチェックするのですが、200箇所やって欠陥はゼロ。 山田さんにも「お前を連れて来てよかった。 やれると思っていたけどな」と言ってもらえました。

技術者として、ビジネスマンとして成長させてくれた海外での経験

良い師匠に育てられ、一緒に仕事をする中で技術も格段に向上したわけですね。 その後はどんな仕事をされたのでしょうか?

その後は溶接のプロフェッショナルとして、あらゆる現場を経験しました。 自分一人で出張することも多くなり、何か困ったことが起きても誰にも頼れない状況を数多く経験するなかで、着実に成長できたように思います。

20代後半からは自分で溶接をするだけでなく、後輩を指導したりチームをまとめる役割も任されるようになりました。 大きな転機になったのが2007年、35歳のときに携わったインドでのプラント建設プロジェクトでした。 現地に1年半ほど単身で赴任して、プロジェクト管理の一端を経験させてもらいました。 自分は作業をせず、管理監督指導だけというのは初めての経験で、戸惑いましたが多くのことを学ぶことができました。

たとえば、どんなことを学んだのですか?

雨が降ると工事が中断します。 そのとき、たいていの日本人なら、何かできることがないかと考えるわけですが、当時の現地作業者はただ雨が止むのを待っているのです。 さらに、いくら言っても、のらりくらり、あれこれ理由をつけて働かない。 あきれて「なんで現地作業者はこんなに働かんのや」と嘆いていたら、プロジェクトマネジャー(PM)に呼ばれて「まだお前は頑張れていないな」と言われました。 「どうしたら相手が自分の望むように動いてくれるか。 それを考えて実行するのがお前の仕事なんだよ」と。 まさにマネジメントの基本です。 このPMが後に当社の親会社である三菱ケミカルエンジニアリングの前社長の佐久間氏で、その後も折に触れていろいろ教えていただきました。

全国溶接競技大会のアーク溶接部門で優勝されたのは2008年。 インドからの帰国直後のことでした。 優勝できた要因は何だと思われますか?

22歳から出場を続けて全国2位が2回、4位が3回ありましたが、優勝はこの時が初めてでした。 インド赴任中はほとんど溶接に接する機会がなく、腕がなまっているかなと思っていたのですが、意外にも本番では以前より冷静に落ち着いてできました。 インドで培った考え方や精神的なものが良い方に作用したのだと思います。

一歩一歩、着実に積み重ねていくことが自分の糧となる

一流の技術者になるには人間としての成長が必要だということでしょうか?

そうだと思います。 師匠の山田さんはご自身の溶接に対して非常に厳しかった。 僕たちが山田さんの溶接を見ていくら感心しても、まだまだだと。 「自分が定年までやっても満足する溶接ができることはないと思う」とおっしゃっていました。 溶接は生涯精進。 やめるまでずっと努力、勉強を続けていかなければいけないと。 僕も最近は、山田さんの気持ちが少しわかるようになってきた気がします。

最近は後進の指導にも力を入れられています。 指導するときに大切にされている点は何ですか?

AIやロボット技術がいかに進化しようとも、現場で材料同士を結合させる人間の手による溶接の重要性は変わりません。 溶接の良し悪しは機械や設備の性能・耐久性に大きな影響を及ぼしますから、大切に引き継いでいかなければいけないのです。 指導するときに第一に考えるのは、今その人が、何ができなくて悩んでいるのかを考えること。 自分も若い頃にはいろいろ苦労をしてきたので、それをどう乗り越えてきたかを思い出しながら、自分の身に置き換えてアドバイスするようにしています。 どうしたらより良く相手に伝わるかを考えるという点では、インドや中国で言葉も通じないなかで、いろんな人と接してきた経験が役立っています。

最後に、溶接のマイスターを目指す方へのアドバイスをお願いします。

まず「急がば回れ」ということを伝えたいと思います。 目標に向かって効率よく一直線に突き進むことも否定はしませんが、遠回りに思えても一歩一歩着実に積み重ねていく方が、自分の糧になるものをたくさん得られる。 とくに想定外の事態に遭遇したときには、回り道して身に着けた知識や経験が助けになるものです。

もう一つは、人との出会いを大事にすることですね。 壁にぶつかって一人では乗り越えるのが難しいとき、先輩や同僚のちょっとしたアドバイスや手助けで視界が開けて乗り越えられることがよくあります。 自分が成長するためのヒントを与えてくれる人は大切です。

ありがとうございました。