負けん気と素直な心が技術の地平を切り拓く。

名工の系譜01 山田 哲彦

溶接はプラント建設のみならず、内外のあらゆる産業を支える重要な基礎技術。エムイーシーテクノでは、とくに汎用性の高いTIG溶接および被覆アーク溶接の技能向上と次世代への技能伝承に努めている。

プロフィール

山田 哲彦

九州事業所 機械工事部 工事施工グループ
1971年入社

溶接技術を競うコンテストで2回に亘って日本一に輝く。溶接技術においてはエムイーシーテクノ社内において唯一無二の存在。最近は後進の指導にも力を注ぎ、全国溶接競技会において数多くの優勝・準優勝経験者を輩出している。長年の功績により2013年には黄綬褒章を受章。鉄工主任を経て現在に至る。

受賞・表彰歴

  • 1994年第39回全国溶接競技会 準優勝
  • 1999年第29回日本ボイラ溶接士コンクール協会長賞
  • 2000年平成12年度高度熟練技能者認定
  • 2001年第1回北九州マイスター
  • 2007年平成19年度福岡県優秀技能者福岡県知事表彰
  • 2011年第9回福岡県市民産業教育賞
  • 2012年現代の名工受賞
  • 2013年黄綬褒章
  • 2017年日本メンテナンス工業会 メンテナンス奨励・普及賞

INTERVIEW

負けん気と素直な心が技術の地平を切り拓く。

山田哲彦は当社が誇る溶接マイスターの一人。その指先から生み出されるビードの美しさは国内屈指と称される。今をさかのぼること40数年前、中学を卒業し社会人となった少年は、いかにして溶接のプロフェッショナルへと駆け上ったのだろうか。

「溶接やってみらんか」という上司の一言

溶接工の道を選んだ理由を教えてください。

入社して1年くらいたった頃、会社の上司が「お前、ちょっと溶接やってみらんか」と勧めてくれたのが、この道に入ったきっかけです。

うちは父親が早くに亡くなって、母親が女手一つで兄弟二人を育ててくれた。「早くおふくろを楽にさせてやらにゃいかん」と思い、中学を出てすぐ就職したのです。最初の1年は、会社から職業訓練所に通い、そこで旋盤やら溶接やらを学びました。訓練所で溶接を経験したときに、自分に向いているかなと思ったのは確かです。

すぐに上達するものですか?

そこまで真剣にやっていたかどうかですね。じつは溶接が面白いなと思えるようになってきたのは会社に入って3年くらい経ってからのことです。入社した当時はアーク溶接が全盛の時代で、ようやく3年目の頃にTIG溶接が入ってきた。これを人より先にマスターしてやろうと思って、ちょっと真面目にやりだした。しかし周りの誰もやったことがありませんから、教えてくれる人がいない。仕方なく試行錯誤しながら自己流で覚えていきました。

自分では手に負えない仕事を
他の技術者が見事に仕上げてしまう

つまり独学で技術を勉強したと。うまくいきましたか?

やはり自己流ではダメでしたね。20歳のときに重油を陸揚げするパイプラインの溶接を任された。重油の配管は漏れたら大変なので、溶接がうまくいっているかどうかレントゲンで検査するのですが、結果は溶接した30か所の大半が欠陥。全滅でした。

「お前がやり直してもまた欠陥が入るだろう」と言われて、違う人がやることになった。それがものすごく悔しくてね。真剣になったのはそこからです。

代わりにやって来たのは他社のベテラン溶接士。会社は違いますが、昼休みに自分のテストピースを持って行って要領を教えてもらい、猛特訓した。定時でみんなが引き上げたのを見計らって毎日2~3時間、一人でTIG溶接の練習をしていました。

悔しさをバネに一念発起したわけですね。

中卒でしたから、高卒や大卒の連中に負けてたまるかという気持ちもありました。昔は自分の技術を人に教えたがらない人が多かったので、上手い人が作業していたら後ろからそっと覗き見て、勝手に勉強させてもらいました。

いかに「湯流れ」を見きれるか

一人前の溶接工になるのに、だいたいどれくらいかかるものですか?

すぐに上達する人もいれば、何年やっても上手くならない人もいます。だいたい4~5年でしょうか。また、一口に溶接と言ってもアーク溶接、TIG溶接、自動溶接といろいろあります。どの方法でどんな溶接をすれば一番きれいに仕上がるか。施工管理も含めてそうした判断ができる力を身に付けるには最低でも7~8年かかるかなと思います。

上手い人と下手な人の違いはどんなところにありますか?

溶接の巧拙を分ける最大のポイントは、湯流れ(金属の溶け出し方)を見きれるかどうか。溶接棒が溶けて固まった部分をビードといいますが、上手な人の溶接はビードの余盛(幅と高さ)が一定で、表面にできる波紋もきれいにそろいます。しかし下手な人はビードの波紋が乱れて余盛も高くなったり低くなったりする。人間の手でやるTIG溶接やアーク溶接では、溶融棒の溶け出す速さは一定ではないので、湯流れの状態を把握して、ビードの幅と高さが合う速さで前に進んでいかなければいけない。

湯流れを見きる。まさに職人技ですね。

溶接後のひずみを抑えることも大事です。溶接部分は非常に高温になるので、ひずみが起こりやすい。平たい板同士の溶接で、どうしても自分の腕だけでカバーできない時は、下にアルミや銅の板をしいて溶接する。アルミや銅が熱を吸収してステンレスにかかる熱を逃がしてくれるので、ひずみが少なくなります。

配管のL字型の溶接は、昔はひずまないように突っ張りを入れましたが、突っ張りを外すとポンッと音を立ててひずむ。試行錯誤したところ、溶接のスタート位置をどちら側から始めるかによって、ひずむ方向を調節できることがわかり、それからは突っ張りなしで溶接ができるようになりました。

現代の名工は、いかにして育くまれたのか

今では現代の名工と呼ばれ、2013年は黄綬褒章まで受賞されました。そのような存在になれた理由はどこにあったのでしょう。

あきらめずに長く続けてきたことが評価してもらえたのかなと思います。実はいろいろと幸運なこともありました。溶接は老眼が始まって細かいところが見えなくなるとできなくなる。先輩たちはだいたい50歳までに引退して他の分野に行きましたが、幸いなことに私はそうならなかった。昔から近視だったこともあり、今も近くのものはよく見えます。

化学工場に勤めたのも良かった。化学工場は鉄、ステンレス、アルミ、銅、チタンと、いろんな金属が使われているため、多種多様な金属の溶接を経験できた。これほどいろんな溶接をやる人は少ないのではないかと思います。

ピアノが趣味だと聞きましたが、いつから始めたのですか?

趣味というよりもトレーニングとしてやり始めました。だからこの仕事を始めてからですね。TIG溶接では溶接棒を繰り出すときの左手の指の動きが重要になります。湯流れの状態に合わせて、適切な量を繰り出していかなければいけないからです。そこで若いころから左手の指を自由に動かせるようにしようと、暇があれば指の体操のようなことをやっていました。

その延長で、指の運動になるかなと家にあったピアノに挑戦してみたのです。娘には「無駄だよ」といわれましたが、これも指の体操と思って続けていたら、簡単な曲でしたが1カ月くらいで弾けるようになりました。

磨き上げた技術を後進に伝えるために

最近は技術の伝承にも力を入れておられますね。

社内で溶接研修をやっているほか、最近はポリテクセンター(職業訓練所)の講習会とか専門学校とか、社外からもいろんなところに呼んでいただいて溶接の指導をしています。私自身も人に教えるのが好きなので楽しいですよ。

ただ心配なのは、日本の溶接技術が昔に比べるとガクンと落ちているのではないかなということです。溶接検定試験の立ち合いでテストピースを見せてもらうと「ようこれで仕事ができるな」と思うものが多い。むしろ中国や東南アジアの国から評価試験を受けに来た人の方が、更新試験を受けに来た日本人よりも上手です。ハングリーさが違うのでしょう。

これまで日本人が磨き上げてきた溶接技術が廃れて、海外に流れていく傾向にあるのですか?

その流れはありますね。だからどこかで食い止めたい。実は毎年、溶接の全国競技会がありまして、県大会で上位に入った選手は九州大会に向けて合同練習する。その講師をやっているのですが、今回は参加した選手全員に「自分たちがやっている溶接の条件を書きなさい」といって、ルート面や、電流電圧などの条件をフルオープンにしました。会社が違ってもお互いにいいところは学びあい、みんなで技術を高めていこうということです。

それまでは黙って練習して、終わると「ハイさよなら」でしたが、お互いに手の内をさらけ出すと、会社の垣根を超えて技術者同士の交流が生まれる。私のところにも「溶接でわからないことがあるので教えてほしい」と、彼らからよく電話がかかってくるようになりました。

技術を囲い込むのではなく、会社の垣根を超えて溶接技術を伝承する。素晴らしい試みですね。最後に、後進たちへのメッセージをお願いします。

何事を成すにしても「聞く耳と素直な気持ち」を忘れないでほしい。他人に何か言われると、ついうるさいと思ってしまいがちですが、それでは大成しません。

教えてくれる人の言葉には素直に耳を澄ませて、取り入れてみる。壁にぶつかったら、恥ずかしいなどと思わず、知恵を持っている人に聞きに行く。かつての私自身がそうだったように、素直な心で聞きに行けば、たいていの人は答えてくれますから。

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